第4回 父親はオビ

  陣痛が弱く、苦戦の続くラーナのいる雑居館から50メートルほど離れた所に、60坪のサークルがあった。2メートルの高さのフェンスで囲まれた敷地は、大小二つに仕切られ、間を幅90センチの通路で分けられていた。
 広いエリアの中央には大きな木製の犬小屋が二つ置かれ、見事な毛をまとった大きなサモエドが、入り口から揃えた前足を垂らし、タバコをくわえて近づく私に視線を向けながら、大きなあくびをした。

「オビ、休園日だからって、その間抜けな顔はかっこ悪いよ、ほらっ、嫁が今がんばってるんだよ、お前の子供たちが生まれてるんだよ!」

のんきなオビ父さんはハンサム!

のんきなオビ父さんはハンサム!

 難産と言えるラーナの5度目のお産のもう片方の責任者は、こののんきなオビ父さんだった。まあ、犬の世界だから仕方のないことだが、犬のオスは父親認識がゼロに近い。発情したメス犬に、あらんかぎりの情熱と手練手管を使って交尾に辿りついても、ことが終わると、次の発情メスを探す薄情者に変身してしまう。
 鳥類はともかく日本に生息している哺乳類で、オスが連れ合いの出産育児に付き合うのは、キツネとタヌキ、(そしてこれはあくまでも私見だが)30代までの人間のお父さんの3種だろう。ちなみに私は50代後半、二人の子供の世話は女房に任せていた。
 生態学的には正しいオビの姿ではあるが、自分のことは棚に上げ、ついラーナのことを伝えてしまう私だった。

王国・石川百友坊のサモエドは、このマロ親分から始まった

王国・石川百友坊のサモエドは、このマロ親分から始まった

 もともとラーナは、老いの見えたマロの若い嫁候補として我が家にやって来た。しかし、ラーナが成熟した時には、もうマロは男として引退を宣言していた。あれだけ見事なオス犬ぶりを見せていたマロが、発情したメスに、他のオスが近づいても怒らなくなっていた。
 不思議なことに、そのマロの変化とともに、跡継ぎとして我が家に残っていた息子のカザフが、その頃から見事に交尾をし、妊娠させられるようになった。2歳、3歳と元気な盛りのカザフは、マロが現役のオスとしてばりばりの時期と重なり、マロの見ていない所で発情メスと交配を企てても、遠慮がちな素振りを示し、成功していなかった。集団の親分として君臨する父親のプレッシャーがあったのだろう。
 従って、ラーナは2000年の5月、父の重みから解放されたカザフと初めて結ばれ、七夕の日に可愛い子犬を見せてくれた。

 その後の東京での新しい王国の展開に、当初、カザフは参加をしていなかった。北の地で数匹の仲間とともに留守番をさせていた。
 そこでラーナの新しい相手として、カザフの息子であるオビに私たちは期待を寄せた。
 2004年、7歳のラーナは5歳年下のオビと結婚をした。まさに若いツバメをゲットした状態。ラーナは毎日訪れる大勢のお客さんの見ている前で張り切って育てた。
 東京の王国で初めての出産で生まれた5匹のサモエドの子犬たちは、首都圏を中心に、何かがあれば再会が可能な範囲に旅立って行った。
 私の願ったマロの子供はできなかったが、ラーナはマロの孫、そしてひ孫の顔を見せてくれる素晴らしい母親になった。

「オビ、まだ何匹かラーナのお腹にお前の子がいるよ、早く生まれるといいね……」

 小屋から出て、耳を倒し、フェンス越しに甘えてくるオビに私は話しかけた。のんきな父ちゃんは、背を金網に擦り付け、私の上着のポケットからジャーキーが出てくるのを期待していた。

マロの息子であるカザフは、オビの帝王教育を行なってくれた

マロの息子であるカザフは、オビの帝王教育を行なってくれた

(2009年1月13日更新)

バックナンバー

第1回 サモエド・ラーナ

第2回 寒い日、出産

第3回 蘇りへの深呼吸

第4回 父親はオビ

第5回 厳粛なる営み

第6回 最初の関門

第7回 乳父(うぶ)の井戸端

第8回 ふたりの乳母

第9回 増えよ、体重!

第10回 厳しき日々

第11回 目安

第12回 穏やかな陽光の中で

第13回 名前が付いた

第14回 ヘッドギア

第15回 コボが教えてくれた

第16回 立て、そして歩め!

第17回 雪の朝

第18回 絆創膏

第19回 側対歩

第20回 母の足音

第21回 春の別れ

第22回 西多摩の風

第23回 保育所開設

第24回 にゃんころべー

第25回 桜、咲く

第26回 きょうたクンのアルバムより

第27回 白いサークル

第28回 初めてのおすわり

第29回 水が飲めた!

第30回 あきる野

第31回 みーちゃん

第32回 二次予選

第33回 泥だらけのチャンピオン

第34回 変わらない日々

第35回 すぐ横にいる仲間たち

第36回 さつきの雨

第37回 再会

第38回 保育所、その後

第39回 大人へのリズム

第40回 体重計測

第41回 母の心

第42回 新しい親友

第43回 住めば都

第44回 兆し

第45回 夏近し

第46回 皆さんの中のコボ

第47回 暑さ、そして……

第48回 Sくんからの寄稿

第49回 痛いの?

第50回 平穏

第51回 そして秋へ

第52回 辛抱の場

第53回 食べさせる知恵

第54回 餡の入った薬

第55回 それでも、秋

第56回 秘密の会話

第57回 支え

第58回 山太来国

第59回 痙攣(けいれん)

第60回 海を越えて

第61回 大集合

第62回 冬近し

第63回 Sちゃんの疑問

第64回 小春日和

第65回 ヌマスギ

第66回 誕生会

第67回 誕生会、その夜

第68回 気配

第69回 ある誓いの日

第70回 日常の事

第71回 ブタのブーちゃん

第72回 気ままなヒゲの友だち

第73回 工事

第74回 仮の宿

第75回 ひとつになった影

第76回 表情

第77回 姉弟のように……

第78回 どこが……?

第79回 拠りどころ

第80回 兄のように

第81回 安心の場所

第82回 取り巻きたち……

第83回 ちょっと一服

第84回 工夫

第85回 語りかけ

第86回 語りかけ 追記

第87回 語りかけ 続・追記

第88回 ベルクの死

第89回 おニュー

第90回 初夏への日々

第91回 2度目の夏

第92回 末っ子・トメコ

第93回 夏は駆け足……

第94回 そして秋……

第95回 さよなら、ありがとう……

第96回 北海道標津郡中標津町字協和

第97回 そして、4歳……

最終回 ぬいぐるみ・エピローグにかえて


50年、北海道名寄市生まれ。72年に作家の畑正憲氏が主宰するムツゴロウ動物王国に参加。以来、ペットを含む家畜、野生動物との密度の濃い暮らしを続けている。86年に公開された映画『子猫物語』において、さまざまな生きものたちの個性を生かした育成トレーニングを担当。また、写真・文章の世界でも活躍し、著書に『飼育マニュアルに吠えろ!―2000匹が教えてくれた犬の真実』(青山出版社)、『ネコ語がわかる本』(学研新書)、『ムツゴロウ動物王国石川さんの仲間だより』(北海道新聞社)がある。現在、石川百友坊(*1)主宰。
●いしかわさんの命がいっぱい
http://202.164.255.119/ubu/

*1 石川百友坊:07年11月まで活動していた東京ムツゴロウ動物王国において、「異種雑居」をテーマに展開したエリアのこと。そこでは犬や猫や鳥たちが、鎖やケージで制限されることなくのびのびと暮らしていました。現在は移転し、北の地で続いています

運動機能障害を抱えながらも笑顔で生きる犬・コボ。この連載は、そんな彼を支え、そして見守る石川利昭さん(ムツゴロウ動物王国石川百友坊)が贈る、真実の物語です。心肺停止状態で生まれたコボが息を吹き返すまでのコボ誕生のエピソード、動物王国で過ごした子犬時代の逸話、そして北海道で暮らす現在の様子などを、「生きものたちのメッセンジャー」である石川さんがコボの写真満載でお届けします。


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